JA0IAA
アワード

露組ねっと 佐渡移動

2007/9/14 加筆

まず最初に「露組ねっと」とは・・・・

 93年ころになると思うが、新潟県内でアクティブに運用していたメンバーがパケットを通じて集まった。北は新潟市、南は長野県境に近い妙高村までメンバーがおり、その距離は直線で約100km!転送型BBSでお互いの情報交換をしていた。
 メンバーの得意ジャンルはさまざま、DXerあり、コンテスターあり、6メーターマンあり、アワードハンターあり、移動マンあり、パソコンオタク?あり・・・・。敢えて共通点を探せば、移動が好きで6mのようなQSOスタイルを好む連中の集まりだった。
 クラブという組織は作らなかったが、個々が自分のハムライフのスタイルを持っており、その「道」では新潟県内の有名人として活躍していた。
 97年ころ、インターネットの普及に伴いパケットが衰退し書き込みが減少していった。また、個人個人が多忙になったこともあり「発展的解散」ということで実体は消滅した。しかし、メンバーは現在も各人が独自のスタイルで無線を楽しんでいる。
「露組」という名称は、越路町在の某氏の発言からだった。アクティブな連中が中越地区におり、「あいつらは脅威の存在!」という書き込みがパケットであった。某氏から見て、北に在住する彼らは脅威とのこと、「北の脅威」といえばロシア!ならばロシア組にしよう、というわけで「露組」という名称がついた。「ねっと」は、パケットのネットワークからつけたものと思う。
 私自身がメンバーに参加したのは93年の秋ころ、かなり後で参加した。

伝説の佐渡移動

 どこか移動へ行かないか?という話が持ち上がり、94年のゴールデンウイークに佐渡のドンデン山で運用することになった。仕事の都合等もあり全員は参加出来なかったが、宿舎にANTを目一杯上げて楽しんだ。
 1.9〜1200MHzまでオールモードでオペレータを交代しながら4日間運用した。1.9や10MHzでパイルアップを受け、144MHzFMで1エリアからコールされた。また50MHzでRTTYを運用したり、50MHzAMコンテストにも参加した者もいた。パケットで「露組ねっと佐渡出張所」を運用したりも(hi)。
 そうそう、中波をワッチしていたマニアもいた(^^;)。風変わりな一方、最強メンバーでもあった。
宿舎前
 運用した宿舎は2000年以前に廃業し、取り壊された。

メンバーが揃って記念撮影 背景は両津市内と佐渡湾
後列
  JH0RNN JR0GFM JR0BAQ JH0ISW JF0GQG
前列
  JA0IAA JF0KYK JR0JMS JG0CON
全員集合のスナップ
 宿舎前に集合して撮影

 屋上は50/144MHzのビーム、ルーフタワーが固定して取り付けられており、ローテータは宿舎の備品を借用した
 手前のマストは18と21MHzのDP 一部がかろうじて見える
 うっすらと見える長いワイヤは1.9MHz I.V.
佐渡移動のQSL 記念に作ったQSL
 『北の脅威とゐえば・・・露組ねっと』という文字が何ともユニーク

 部屋の様子分かりますか?
 PCを操作しながらピースしているのは、今は亡きJR0JMS久住氏
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