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何故移動運用なのか

2007/9追記
 以前、多くの方々から「あなたの常置場所はどこですか?」と質問されたものだった。それほど、コールサインに/0を必ず付けて運用していた。理由は至極簡単、住居にアンテナが上げられなかったからである。
 高校卒業、大学進学と同時にジプシー生活が始まった。初めての土地で間借りの下宿生活とアパート住まいで4年の学生生活、卒業後は就職先の寮を新入社員研修・実習で5年間に4回住所が変わった。
 社会人になってからは、金銭面では少し裕福になったものの、仕事の多忙さでストレスがたまり参った。ストレス解消に無線がやりたくなり、4階建ての寮の屋上に3.5MHzのフルサイズDPを上げて少し楽しんだ。 しかしTVIがあった上、隣室の友人に音が筒抜けであった(一応6畳の個室だったが、元々3DKの社宅として作られた建物を3人で共同管理する方式であった)ので、友人とのマッチングを考え次第に電波を出さなくなっていった。
 その後、仕事に対し考えることがあり県内の会社へ転職、Jターンした。実家の近くには前職を生かすところが見当たらず、約70km離れた上越市に新居を構えた。84年のことである。
 少しは時間の余裕が取れるか、と思ったものの仕事は多忙を極めた。貧乏性なのか、仕事に手を抜けないタチなので平日は寝る以外に何もしない日々が続いた。週末は長めに睡眠を取ったが、精神的なストレスは癒せず。実家で家族と過ごすことで何とか平静を保った。
 実家にもリグとアンテナはあったが、ビルの谷間のようなロケーションで思うように電波が飛ばず苦労した。しかし、それなりに満足もしていた。
 そんな時、某誌で50MHzの移動運用が盛んな旨の記事を読んだ。外で思いっきり電波が出せる・・・・これなら出来るかもしれない、とおばけポールとタイヤベース、50MHzの6エレ八木を購入し運用を始めた。86年の夏休みだった。
 新潟県内は50MHzのアクティビティが低く、県境を電波が越えないと相手がいない。でも、1エリアが開けたならばパイルアップが・・・・・。 車で1時間走れば行ける長野県へ移動を始めた。その後、アンテナも8エレ八木に改造し、力の限り頑張って(?)アンテナ上げをやって楽しんだ。2年くらいはこの状態が続いた。
 少し間が空いて本格的に移動運用を始めたのが91年の秋、HFのリグを衝動買いしたのがきっかけでハマる運命になった(^^;)。今度は7・18・21MHzに傾注、ワイヤANTでも飛ぶし18/21ならばモービルホイップでもOK、結構コールがある。重たい50MHzのビームを上げることが面倒になった。 移動の様子(96年)
 以後あちこちのバンドに出て、それなりに楽しんだ。早春は3.5か7、その後夏まで18・21・50、秋からニューイヤーパーティまではV/UHFというパターンが定着しつつあった。
 冬はどうするかって?新潟県は大雪と強い北風の季節、アウトドア派は冬眠するしかない。
 西頚城郡名立町(現在は上越市)の移動ポイントで撮影(96年ころ)
 18MHzの2エレメントワイヤビームと24MHzダイポール

今は休業   :2007/9/14追記

 決して情熱を失ったわけではない。家族と仕事を優先する日々で、自由な時間が少ないからである。
 仕事の合間に楽しめるのは、ハンダゴテを握ること。これならば30分や1時間でも時間が取れる。測定器を用いる場合は、あらかじめ1時間以上前に電源を入れエージングをしている。夜間でも楽しめる。
 さすがにXYLや子供には勝てないHi。
 体力も落ち気味な年代、昔のような無理が難しくなった。しかし、まだやってみたい気持ちはある。
 ガレージに眠っている昔のアンテナ(ほとんど自作)を引っ張り出して、整備してみようか。不要なものは捨て、作り直すのも良いかもしれない。
 設計・製作のプロセスは楽しい。実際に組み立て運用するまでにいかに効率をあげるか(短時間で楽に組み立て分解する)、経験すればアイデアは沸いてくる。
 いずれ時間が取れることを願い『充電』の時期をエンジョイしよう。
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